スイーツ&デストロイ

旅行記と備忘録

挨拶と挨拶ハラスメントを混同しないでください

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   この一連のツイートを道中にみてしまい、とてもとても嫌な気分になって、わたしは旅をまったく楽しめなくなりました。

 この方が「感動してらっしゃる」と解釈したツイートは「濃い緑の山々には白い靄がかかっていて水は青く澄んでいる。すれ違う子どもたちは元気に力いっぱい挨拶してくれる。ここは天国か」というものです。

 しかし、それを目にしたこの方からこういう反応をされたのでつらくなって消しました。

 先述したツイートは誰かの権利を侵害するようなものではありません。

 しかし、憶測と邪推により、最終的には差別者であるかのように結論づけられました。あげく子どもが強制される、挨拶運動の元凶であるかのように断定される始末です。

 わたしは混乱し、嫌な気持ちになり、それを引きずり、うまく転換ができず、最悪の気分で旅行を終え、そして今とても傷ついています。

 これを受けて「挨拶を強制される子どもの立場を思いやらず、うかつに感動して申し訳ありません」とツイートすると(もちろん皮肉です)この方からDMをいただきました。
 そこには「楽しい旅行に水を差してすいません」と書かれていました。内容への謝罪ではなく「水を差してすいません」

 わたしは混乱していたので、ツイートしたばかりのそこまでいうことないんじゃない?的なツイートを速攻で削除し「こちらこそすいません」と謝罪しました。そして「高千穂はいいところですね。旅行楽しみます」と返信しました。

 しかし「水を差してすいません」といわれても、それが目的だったのでは?

 うかつに感動しているけれど、子どもが挨拶をするのは指導の賜物であって、あなたへの善意でも好意でも人情でもないし、田舎の人間は見た目ほど素朴ではない、なぜこの方はそんなことを「お伝えしたい」と願ったのか。伝えていったいどうするつもりだったのか。相手が嫌な気分になる以外のなにかがあるとは思えません。

 認識をあらためろということならば、いわれなくてもそんなの知っています。

 逆にこの方はわたしが田舎をどう認識し、どうツイートすれば満足だったのでしょう。

 「自然が豊かで子どもたちも元気いっぱいで、ここは一見、天国のように思えるが、内情はさぞかしどろどろしているに違いない。人々が純朴に見えるのは、ギチギチの地縁や血縁や、権威主義的な環境や学校教育があるからだ。子どもも強制的に挨拶させられているのだろう。かわいそうに。たまに観光で訪れるのはいいけれど、絶対に住みたくないな」とか呟いたらよかったの?すげえ感じ悪いけど。

 子どものころに挨拶運動をさせられて辟易していた、田舎のそういう裏側をよく知ってるからつい水を差してしまった、という言い訳のあとに「外国とかであればわたしもうっかりそういうのに感動してしまったりするだろうなと思います」という一文もありました。謎です。

 そもそもべつに挨拶を気持ちよく思うのは悪いことではありません。外国できらきらした子どもの笑顔に感動することのなにがいけないんでしょうか。それが発展途上国だからですか?田舎だからですか?それはなぜですか?先進国の子どもの笑顔や、都会で交わす挨拶ならかまわないんですか?

 うっかりすることは誰でもあるよ、みたいにいわれても、わたしはべつにうっかりしていません。
 都会と田舎を、先進国と発展途上国を、比べてどうこういったわけではなく、ただ挨拶をされて気持ちよかった旨をツイートしただけです。

 田舎を賛美し都会を貶すツイートや、発展途上国と先進国の子どもを比べ、どちらかの目がより輝ているとか死んでいるとか、そういったツイートをしたわけでもありません。

 それを「強い田舎幻想を抱く都会人の驕りであり差別的内心からくるものである」「発展途上国へ行って『子どもの目がきらきらしていた』というのと同じ種類の差別的視線に他ならない」
と決めつけるのは、憶測と邪推と偏見の賜物です。うっかりどころではありません。

 このツイートをしたとき、わたしは早朝の散歩中で、神社や河原を巡っていました。高千穂は自然が豊かな美しい場所で、外はまだ涼しく、とても気持ちがよかった。濃い緑の山にかかる白い靄をみて、川を流れる青く澄んだ水をみて、きれいだなーと思いました。子どもが一人暮らしをはじめた喪失感もそれですこしまぎれた。

 神社へは朝一番に行かないと意味がないと、猛烈にプレッシャーをかけられた末の、半ば強制的な外出でしたが、結果的にはよかったなーとすぐに元気を取り戻しました。
 蒸し風呂のように暑い日中では到底味わえない爽やかな空気を満喫しましたし、豊かな自然に触れて幸せな気分でしたし、それに旅行中ですからおのずとテンションはあがります。

 その帰り道、ちょうど登校時間にぶつかって、すれ違う子どもたちが元気よく挨拶をしてくれた。こちらも元気に挨拶を返す。楽しいなーここへきてよかったなーという気持ちを「天国か」でちょっと大げさに表したわけです。もろもろひっくるめて「高千穂最高!」という気持ちです。

 べつに「子どもが大きな声で挨拶してくれることに感動」したわけでも田舎の人の「好意」や「善意」に感動したわけでも、高千穂の人を、都会とは違う「素朴で人情味のある人々」だから「いいなあ」と思ったわけでもありません。

 そもそもわたしが「都会のひと」だったことなど今までに一度もないのです。

 なのになぜこの方はこの短いツイートから「田舎幻想の強い都会のひと」『「リベラル」なひとでも簡単に、とても簡単に田舎のそういうみんな挨拶してくれるとかそういうのにコロッといっちゃう』と決めつけるのでしょう。

 ただ、爽やかな空気のなか、自然の美しさにうっとりしていたら、子どもの元気な声を聞いて、ますます楽しい気分になった、というだけのツイートから、これだけの言っていないことを勝手に読み取り、簡単に騙される愚かで無知な人間だと断じるのは偏見まみれの悪意でしかありません。

 挨拶は「善意」や「好意」や「人情」でするものではなく、単なる習慣です。指導や教育の賜物であるのは当たり前のことです。

 すれ違う子どもが元気よく挨拶をしてきたからといって、それが「善意」や「好意」や「人情」だと思うひとの方が珍しいのではないでしょうか。

 わたしは北関東のなにもない、なにもないのというのは、たいした文化もないうえに豊かな自然があるわけでもない、ほんとうにつまらないくそみたいな田舎で生まれました。そして、環境にも人間関係にもうんざりしながら育ちました。
 後に上京し、20代を東京で過ごして今は関西に住んでいます。故郷よりは都会ですが、東京と比べれば田舎です。

 東京に住んでいた頃もわたしは「都会のひと」ではありませんでした。東京で暮らす地方出身者でした。

 うちの田舎には観光資源がないので、田舎の観光地に暮らす子どもたちがどれだけ厳しく「外向け」の指導を受けるものなのか、内実はわかりません。
 ただ、挨拶運動的なものはうちの田舎でもやっていましたし、すれ違う知らない人にわたしも挨拶をしていました。個人的には、挨拶をしたりされたりがとくに嫌だった記憶はありません。

 でも、この方のように、挨拶運動が嫌だったというひともいるでしょうし(わたしも強制されたら嫌ですよ)みかけたツイートでは「挨拶そのものの意味がわからなかった(だから嫌だった)」という人もいました。

「めちゃくちゃ指導されるんですよ挨拶。ほんと嫌だった」その気持ちをわたしは尊重しますし、挨拶の強制で嫌な思いをする子どもがいなくなればいいなと願います。
 ですからわたしの気持ちも尊重してほしい。

 わたしは挨拶という習慣がわりあい好きな方です。なぜなら先述したように、挨拶は善意でも好意でも人情でもない、それ以前の習慣的なもので、せいぜい悪意/敵意はありませんくらいの意味しかないからです。挨拶以上のコミュニケーションは不要と常々いっているくらいです。

 自分の住むマンションや、職場や学校などではもちろん挨拶を交わしますし、ほんとうに天国みたいな南の島へいって、ビーチやホテルでいろいろな国の観光客のひとたちと、サヴァ?サヴァ?と声を掛け合うのも楽しいし、現地の人と短い言葉を交わすのも心が温かくなります。子どもの笑顔をみて、いい笑顔だなー、きらきらしてるなーと思うこともあります。実際、いい笑顔で瞳がきらきらしてたら誰だってそう思うでしょう。
 その場所が発展途上国だったらすなわちそれは差別なんでしょうか。そんなわけないですよね。

 挨拶に関する嫌な思い出はわたしにもあります。子どものころ、知り合いに会うと、母親は「ほら、挨拶しなさい」と叱るように促しました。しない気は全然ないのに、むしろする気まんまんなのに、こちらが挨拶をするまえに彼女はいつもそういうのです。そして、まるで挨拶ができないだめな子みたいに扱われる、毎度繰り返されるそれが本当に心の底から嫌でした。

 あれは挨拶ハラスメントだと思います。学校で厳しく指導される挨拶の強制も、挨拶ハラスメントなのではないでしょうか。
 発声にけちをつけられたり、何度もやり直しをさせられたりしたら、わたしだって嫌気がさしますよ。

 問題なのは挨拶の「強制」です。

 その習慣自体が悪いわけでも、挨拶したりされたりして嬉しい楽しいあるいはいい気分だと感じるわたしのような人間が悪いわけでもありません。

 それを混同し、むやみに悪意をぶつけるのはやめてください。挨拶を嬉しく感じる人間を諸悪の根源のようにいわないでください。不当です。

 この方はあたかも、ふらりと田舎に来て子どもの挨拶に感動する田舎幻想の強いうかつで差別的な都会の人間=わたしが、観光地における子どもへの挨拶強制という悪しき慣習を生んでいるのだ、といわんばかりですが、実際は単に「なにごとも強制はよくない」という話しでしかありません。そしてわたしは誰にもなにも強制していませんし、誰の権利も侵害していません。